ゆるくあたる日記

気持ちも心も、ゆるーくかるく。ものごとにあたってゆけたらいいな。

スポーツと俳画

スポーツにはあまり興味がない。見るのもやるのも好きでなくて、世間がオリンピックやワールドカップで賑わっているときは、ぽつねんとした感じになる。さみしいとかじゃないんだけど、みんなが面白いとおもう「あれ」を、なんで私は面白いと思わないんだろう…というふしぎ。

 

登山は好きだし、アスレチックも好き。ただ歩くのは興味ないけど、きれいな景色の道を歩くのも好き。好き嫌いじゃなくて、単に興味がない、それだけの話。

 

勝ち負けがあるのがやなんかなーともおもう。そこが面白いとおもう人にはキモなんだろうけど。役割があって、体を使って技術をみがいて、うまくなって、でもそこには完成形がなくて、上には上がいる。

なんとなく小学校くらいの頃に、私、体で上を目指すのはムリなんだとおもった覚えがある。

 

ユーキャンで俳画の講座を始めることにした。ヘタでも味があるっていうのがいいなーと思ったのと、色遣いにときめいたから。

ぴんときたら踏み込んでみるのが私の特技でもある。金額にもよるけど、これだ!とおもったら飛び込む才能は人よりずば抜けているとおもう。まず、外れたことはない。提供されているものか、提供している人をよく観察している。

 

やることないからってYouTubeばっか見て夜消費するのをやめたいなーってのもあって。

やること、やってみたいことが出てきたから、ちょっとやってみることにした。続くといいなあ。

デザインと色の話

洋服の話だと、似合うデザインは体型で、似合う色は顔で決まると思っている。

 

膝の開き方がきれいな人は膝上のすとんとしたスカートが映えるとおもうし、そうじゃない人は膝上の丈にするならチュールやプリーツでごまかしが必要。

チュールが似合うか、プリーツが似合うかというのは、体型もあるけど、その人が帯びる雰囲気にもよる。細かいプリーツが似合う人は穏やかで物静かなひと。丈が長ければ長いほど、落ち着いた感じがする。

柄物は丈が長ければ長いほど、圧が強い感じがする。個性的っていうのかな。

 

色は言葉にするのがとてもむずかしいんだけど、時期によって似合う色が変わる。ずーっと似合う色もあるけど。

好きな色じゃなくて、似合う色。衣服に取り入れるべき色。

たとえばわたしはきみどり色が好きで、部屋の中はカーテンもカーペットも葉っぱ柄だし、じゅうたんはきみどり色だ。でも、着ると途端に似合わないのを知っている。なんか野暮ったくなるし、無理してる感じになる。

 

これは目立つから着れないとか、汚れるから着れないとか、そんなことばっかり考えてたら黒と紺色の服しかほぼ持ってなかった一昨年の春。

今のわたしがなんとなく似合う色は白で、今年は白ばかり取り入れていた。今まで汚れが目立つからNGだったんだけど、着てみると案外よかった。し、汚れもそんなに目立たない。笑

今のクローゼットはほとんど白色だ。

去年のわたしが着ていた、お気に入りのえんじ色の服はまるで似合わなくなっていて、すこし残念だった。

 

似合う色というとパーソナルカラーの話になりがちだけど、パーソナルカラーだけじゃくくれない話だ。

顔なんだ。顔。赤が似合うひとと、まったく似合わないひとがいる。赤も青も似合う人もいる。似合う枠組みというものが、なんとなくある。濃い色とか、明るい色とか、暖色とか。明度と彩度の話とかにもなるのかな。

わたしはサマータイプだけど、淡い紫はあんまり似合わない。アウターか差し色になら使えるけど、メインで持ってくると途端にへんになる。明るいはっきりとした水色は、なぜかずっと似合う。

 

下半身にのせる分にはおかしくないけど、上半身にのせると途端におかしくなる色とかもある。その逆もまたしかり。

この色はぜったい似合わない!とか、この色はなんとなく似合うとか、そういうの。

 

ふしぎね。何で決まるんだろな。

食事と場所の好き嫌い

冷凍しておいた手作りハムを薄切りにして、氷といっしょにむしゃむしゃ食べている。うまい。粗雑かもしれないし、きちんと解凍した方がおいしいのかもしれないけど、私はこれが好き。

 

好き嫌いがはっきりしているという意識はあんまりなかったんだけど、食べものや場所に対する好き嫌いはすごくしっかりしていることに気づいた。昨日食事のメニュー選びの時にはたと思い当たった。

 

おいわ神社は日本一のパワースポットとか呼ばれてるけどへんな雰囲気だから二度と行きたくない。

ここは静かで雰囲気がいい、ここはセンスなくてうるさいから嫌、そういう好みもはっきりしている。一貫した趣味ややり方が出ている場所が好き。

 

食事のメニュー選びでなぜ人が時間かかるのかもよくわからない。これは食べたくない、これは食べたい、今日はこの気分、ですぐ決まるじゃんといつもおもう。白い服だから汚れないものを…とか、明日デートだからにんにくはやめようとか、TPO考えちゃうと時間はかかるけど。

 

食べ物の好き嫌いっていうと、嫌いで食べられない、好きだから食べたい、だけかと思ってたんだけど、そればっかりでもないらしい。

むしろ嫌いで食べられない食べものというのはほとんどなくて、魚卵と内臓だけ。しかしこれも食べようと思えば食べられる。おいしくないけど。

自分で注文してまでは食べたくないものというのはそこそこあって、出されれば食べるけど、好き好んでは食べない。めんたいことか、カレーライスとか、かきあげとか。

 

そう考えてくと、好き嫌いってはっきりしているのかもしれなかった。

人の好き嫌いも似たような感じで、すっごく好きー!って人も大っ嫌い!って人もそんなにいない。

そのかわりに、なんとなく話していて気楽だなーとか、2人きりで話すほどは好きじゃないなーとか、そういうのはきっかりしている気がした。区切り。

 

みんなどんなもんなんかねー。好き嫌い。

かわいがってくれるひと。

知らず、胸にしまっている出来事というものがある。小さい頃にひどく悲しかったこととか、さみしかったこととか。

 

そんなことをひとつまた思い出した。

 

思い出したきっかけは昨日のことなんだけど、兆候は去年くらいからじわじわあった。

まず、去年おじいちゃんが死んだ。めちゃくちゃ泣いた。次に、先月一緒に山登りした先輩が職場を変えるという。がんばれよといってハグしてくれて号泣。

昨日、好きな人も職場を変えるという。せっかく仲良くなったのにねといわれ号泣。

 

この人たちの共通点といえば、かわいがってくれる年上の男の人たち。そういえば昔、そんな人がいたっけか?と思い出した、あのおじさん。

 

いとこのお父さん。父の妹の、離婚した旦那さん。子どもが男しかいないからかわいがってくれていて、突然いなくなって、話題にも出ないし、とてもさみしかったのを思い出した。

 

それからなんとなく、かわいがってくれそうな年上の男の人が苦手だった。声かけてくれる人。嫌いじゃないし、話してみたいけど、避けていた。

好きって言っちゃいけないし、好かれると理由をつけて逃げていた。でも、好きでいてほしかった。さみしい、離れたくない、も口に出してはいけない言葉だった。

前提条件って、からだに染み付いていて、意識に上らない。すっかり、忘れてた。

 

すこしずつ整理がついていくといいな。

幼い頃の、淡い輪郭をもつ記憶たち。

事実の効用

今日、すこし困ったことがあった。

職場の先輩が辞める都合で、仕事のシフトをすこーしだけ、変える必要があった。そのこと自体はたいしたことじゃなくて、2週間に1回の残業が1週間に1回に増えるだけのこと。しかもたったの30分。

 

問題は一緒に残る先輩が、それを渋っていたことだった。どうにか今までどおりのやり方にしたいみたいで、すこし苛立ちを交えて話していた。私が話すたび、不満げになって口をつぐんだり、言い返してきたりした。

 

今思い返すと、後輩だし言いくるめられると思ったんだろうし、自分の考えに意見されて面白くなかったのかもしれない。

 

私はといえば、まわりのやり方に習ったほうがいいと思う、というようなことを言った。怒りに押されて意見を飲むと思われたのもやだったし、譲らなかった。

私だって残業しなくて済むには越したことないんだけど、それはそれ。ルールがある。お金ほしいからって銀行強盗に走らないのと同じことだ。

 

くだんの先輩が帰った後、どうしたもんかと考えた。うーん…と思って、あまり話したことはないけど、3番目にえらい先輩に相談してみた。

その時、とにかく主観や私情を挟まないことを意識して話した。今までのやり方と、先輩と私のそれぞれの意見。どう思いますか?と聞くと、

「あなたの言ってることが合ってると思うし、これまでのやり方もやめる先輩が勝手に決めたことだよね。元通りにするのがいいと思う」

との意見をもらえた。それがすごーく新鮮な感触だった。

 

たとえばここで、「こんなこと言われたんです。腹立つ!」と言おうものなら、まあ落ち着けよってなると思うし、結局解決策まで辿り着けない可能性すらある。あるいは、怒りにまかせて自分の都合のいいように言葉を書き換えて、事実を捻じ曲げてしまう可能性もある。

 

こういうものの伝え方もあるんだなーとわかったのは、すごい発見だった。話が早いっていうのかな。

 

最終的に自分がどうしたいか。

苛立ちをぶつけられて嫌だった気持ちに共感してほしいのか、慰めてほしいのか。あるいは問題の解決策を得たいのか。

今回は利益の関わらない中立な第三者からの意見と、そこからの解決策がほしかったから、すんごーくありがたかった。

 

ものの伝え方で、得られる結果も変わるんだなー。

あくむ

今朝、こわい夢を見た。

玄関口で、だれかが家にやってきて、応対してる人をすり抜けたその人が、わたしの腕をぐっとつかむ夢。ただそれだけなんだけど。

 

むかし、よく見ていた夢で、デパートの中で迷子になって歩けども歩けども、だれもいないっていうのがあった。

私にとってこわい夢でも、だれかにとってはまったくこわくない夢なんだろうとおもう。悪夢かどうか決めるのは私で、その原因はもしかしたら意外なとこにあるのかもしれなかった。

 

半分うとうとしながら記憶を探ってみると、小さい頃に玄関口でおじさんに腕とか頭を触られたことがあるらしかった。いやなんだけど言えなかった。そういう気持ちを今もひきずっていたみたい。ふしぎな話。

 

昨日寝袋で寝たら暑くって、からだを半分ファスナーから投げ打っていた。明後日ねれるかな。

頭の中で考えてること

今、頭の中で考えてることは、そんなに多くない。

好きな人のこと、家族のこと、仕事のこと。そんなもん。

 

いつも、たくさんたくさん、こんがらがってくると、ノートに書く。そうすると、逃げ惑っている自分に気づいたりする。問題だと思っていたことが問題じゃなかったりする。

 

たとえば、ラスボスを倒すとき。むろん強いし、なんだかこわい。もうちょっと後にしようと、逃げる選択肢を選ぶ。どの道で行ったらいいかなとか、途中で乗ったタクシーはエンストしないかなとか、運転手が丁寧じゃなかったとか、どうでもいいことで頭がいっぱいになる。

目的はラスボスを倒すこと、そのひとつなのに。

 

いま、肉体関係を持っている人はひとりなのだけど、その人に対して考えること。

連絡しても他の女と会ってて連絡つかなかったらどうしよう。不安。

抱かれると好きなんじゃないかと錯覚する。困惑。

話してて気安い。かまってくれてうれしい。

 

家族について考えること。

おばあちゃん認知症すすんだな。うちのデイに来たほうがいいのかな。ショックを受けてる姿を見るのが悲しい。

おかんはがんばりやなんだな。

おとんは優しいな。なんで優しいんだろ。ふしぎなくらい。

 

仕事について考えること。

仕事の面白さがよくわからない。施術の技術を高めたからなんだって言うんだろう。

みんな仲良しこよしだ。

今日もあの人が笑顔でよかったな。

 

そーゆーものが、たくさん、たくさん、寄り集まると、思いも寄らぬことがくっついたりする。点と点で、線になる。

 

体の関係に逃げ込もうとするのは、なんとなくよくわかる。キスは心地いいし、抱かれている間は目の前の人は私を見ている。なんかほっとするし、単に気持ちいい。見知らぬだれかに会うみたいな気分。自分なんだけど。

 

逃げたい時、逃げないって、ぐっとこらえるって決めてしまえば、その真ん中のラスボスまで辿り着けるのかもしれなかった。そんな一日。