ゆるくてかたい26才おなごの日記

気持ちはかるーく心はゆるーく。おかたいところも、あるんだな。気ままに書いてます。

ダメージと強さ

今日はスーパーに行った帰り道、だれが私のことを芯から傷つけられるのかな?と考えてたら、ほとんどいないことに気づく。謎の無敵感。刺されたら死ぬけど。

 

勢いで買った35円の至福の品である。

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 うめーんだこれが。そしてやすい。

 

たとえばfacebookの友達みんなにブロックされたとしても、その時は傷つくし、悲しいだろうけど、へいきになる。いつか。まーまずそんなことは起こんないけどさ。

そしてその平気になるまでの時間はたぶんどんどん短くなる。自分が好きな人だったら、なんとも思ってない人と離れるより、さみしさとか悲しさというのは大きいけど、それもだんだん慣れるんだろう。

慣れて感覚が鈍くなるということじゃなくて、痛みに慣れるような。転んだら痛いことを知っていても、何度転んだって痛いはず。でもいつか傷口はふさがって治ることも知っている。転んだら痛くて、痛いのがこわいからって、自転車に乗らないかといったらそれは別の話みたいなね。

夜は話がくどくなるね。

 

ほんとはものすごく強い人だって言われて、強い人ってなんやねんって思ってた。鉄骨みたいに硬いこと?

傷つかないことが強いわけじゃないっていうのが、ようやく実感としてわかってきた気がする。傷ついた痛みを怒りとして誤魔化すことがままある。ごまかしに気づいたら、きちんと痛みを見つめて向き合うことなんだと思う。

肘ぶつけて痛いなーと思っても、傷口見なきゃ治しようもないし、ほっときゃ治るのかもわかんないじゃん。まあほっときゃたいてい治るんだけど。

傷ついて、受けとめて、なかったことにしないことなんだと思う。そして被害者ぶらない。自分のいいとこも、悪いとこも見る。その作業を、痛みを、たくさん感じて、それでもまっすぐ立つこと、あるいは歩くことなんだと思う。

 

イメージは鉄じゃなくてカーボン。しなるねん。びよーん。

 

私以外のだれも、私のことを芯から傷つけられないんじゃないかな。家族が死んだら悲しいだろうけど、それは傷つけられたわけじゃないしね。何か言われたとしても、別にさしてしんどくない。すーっごく好きな人ができてめろめろになったらわかんないけど、今んとこいないし。

 

「人に嫌われる」ことは私の中で大きなタブーだったようなのだけど、今はしかたないと思う。私が嫌いになることも、嫌われることも、しかたない。

この世にいるすべての人と友達!らぶ!とか聖人君子みたいなことはまるで思わないし、嫌いは嫌いでしかたない。そのことばっかり考えてても、人生むだになる。みじかいのに。

私のことが嫌いな人は、私をゴミだと思ってくれたらいいなー。ゴミと同じにポイしたら忘れて。あなたの時間をゴミのために使わないで、好きな人とか大切な人のために使ってあげてほしい。

 

揺れながら落ち着いてくんだと思うなあ。わし。